わたしはすでに心待ち

本日、久しぶりにライブを聴きに京都・拾得へ行った。
三上寛である。
前回の記事で音楽に興味が無くなっているとか書いていたのだが、これは実際本当のところであって、だとすれば、そんな私にとって三上寛は歌でも音楽でもないのであろう。

寛さんは景色を見せてくれるのである。
それは私が見たことの無い景色である。そしてそれはたぶん実在しない景色なのだ。
だが、それは三上寛の中に確実にあって、彼はそれを自らの「芸」でもって私たちの前に繰り広げてくれるのである。私は、その、見たことが無い景色に見とれる。
たぶんこれは観光に近いものなのだ。
で、なければ、
♪マイケル・ジャクソンが死んだ日には、丸亀の町に亀が出る♪
と歌われて、あーそうなのかそーだったのか、とは思えまい。
実在はしないが、三上寛の中には確かに存在する景色。
今夜のライブ前半で、“9・11の日に貿易センタービルから奇跡の脱出を遂げたと証言し、マスコミから祭り上げられた女性”のことを歌っていた。実はこの女性の証言はまったくのウソだったことが後に発覚したのであるが、それについて寛さんは「親近感を覚える」と言っていたのである。
三上寛が確信犯であるのか、それとも“正常な”基地外であるのか、そんなことは私にはどうでもよい。私はただ寛さんが見せてくれる景色に見とれていたいだけなのだ。

気が晴れる。
現在の私には特に気に病まなければならないような事柄もないのだが、しかし三上寛のライブを聴き・見ると間違いなく気が晴れてゆくのがわかるのである。すなわちこれは観光なのである。

拾得ライブの前2回はセミアコースティック・ギターを使っていた寛さんだが、今夜はピエゾタイプのアコースティック・ギターを使っていて、この♪ガシャーンという音が心地よかった。

「ボランティアという言葉も行為も好きじゃない」という三上寛。
超少ない客からの盛大な拍手にニコッと笑う三上寛。
類人猿的な動きの三上寛。

次はいつ来てくれるのだろうかと、私はすでに心待ち、なのである。

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修行の身

このブログ「オールド・デビル・ランタイム」と母体であるサイト「オールド・デビル・タイム」の発生当初は音楽関係の記事を中心としていたのだが、最近はまったく音楽について書いていない。
ここ一年間まったく音楽CDを買っていないし、最後にライブを聴いたのがいつだったのかも思い出せないくらいで、音楽単体への興味が極端に薄れてしまっているのである。
ワタクシの興味は完全にアニメに移行してしまった。
もうやたらとアニメを見続けており、それらは「深夜アニメ」と呼ばれている種類のものである。音楽CDは買っていないがアニメDVDはやたらと買っており、私の貧相な本棚はDVDパッケージの占める割合が急激に増えてきた。

ならば、このイチビリな私であるから、アニメ関連の記事を書きまくりそうなものだが、それはしない。まだその域には達していないと自覚しているからである。御歳55歳にしてアニメ修行中の身なのである。
「深夜アニメ」の類は三ヶ月間または六ヶ月間を一単位として放送されている。三ヶ月を1(ワン)クール、六ヶ月を2(ツー)クールと呼ぶらしい。1クールだと11話から13話、2クールになると25話前後という構成になる。クールの始まりの時期(1月・4月・7月・10月)には一斉に新タイトルがスタートし、さてどのタイトルを見続けようかとの判断に迫られるのである。
毎クール20本以上の新タイトルがスタートするのだが、そのすべてが面白がれるわけもないので、面白がれそうなものを録画して見始める。そして“これゃダメ”なものは切ってゆく。第一話で切ってしまうもの、3話までは見てみるもの、などがあるのだが、困ってしまうのは、見続けようと決定したタイトルの本数が多すぎる場合である。
本年7月からスタールした第三クールにはこれが多かった。
『うさぎドロップ』『ゆるゆり』『ダンタリアンの書架』『神様ドォルズ』『猫神やおよろず』『Blood-C』『異国迷路のクロワーゼ』、第二クールからの続きで『シュタインズゲート』『花咲くいろは』。一週間にこれだけの本数を見ることになり、これが3ヶ月続くのである。おっさんにはけっこう大変なのである。
さらには、これらの作品についてアニメオタク関係のサイトをチェックする。基本的に他人の意見・見解には興味がないワタクシであるが、なにしろ修行中の身であるからして、先達たちの知識・御意見などは貴重だ。

そんなわけで、このブログの7月からこれまでの投稿記事はたった4件であった。
さて10月からの第四クールはというと、これまたなんだか魅惑のタイトルが押し寄せてきているのである。

なわけで、ブログを書いている場合ではない。
修行に戻るのである。

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カーテンを揺らす風

暑い。
酷暑だそうで、京都では気温35度超な日々が続いている。
気象庁が発表する気温観測地点は百葉箱みたいなものだろうから、街中での実際はそれ以上なのが普通で、「気温35℃」時点でも国道付近の温度計表示は「39℃」だったりする。

私の自室は二階・南向きの四畳半で、クーラーがない。よって盛夏の頃には夕方でも室温37度などザラで、“たまらん”場合は隣のクーラー付き六畳客間へ避難するのである。
しかしこの夏、昼間、この冷房無しの自室で作業しなければならないことがたびたびあって、そこで気が付いた。室温36度くらいでも常に風が吹き込んでいれば意外に平気で過ごせるのだ。温度が33度を超えると発汗は盛んになるが、それが適度に蒸発し続ければ、奪われる気化熱によって体感温度はかなり下がる。
ここで重要なのは風の程度で、風が強すぎると皮膚表面の水分が短時間で蒸発してしまい、冷感が続かない。気温が体温並みなのだから空気が当たっているだけでは涼しくはならないわけだ。
適度な風量は“カーテンを揺らす”という程度のようだ。

その弱風が、カーテンレールに引っ掛けられたハンガーのTシャツを揺らしていた。
私が部屋着に使うTシャツを買う場合、選択条件はサイズ・値段・材質が主で、デザインなどはほとんど気にしないのである。人前に着て行かないのだから、赤でも紫でも「F◎CK YOU」でも「夜炉詩句!」でも別段かまわない。
で、揺れている洗いざらしの赤いTシャツをながめていたら、その背部分には
「All work and no play makes Jack a dull boy」
とでっかく書かれていた。
Allnoたびたび申し上げているように私の英語力は中学二年の一学期程度であるから、えーっと、「すべての仕事と遊びナシはダル少年のジャックにする」・・・。
いや、あれ?、この英文はどこかで見たことがあるな、としばし考え、思い出した。映画「シャイニング」で、発狂したジャック・ニコルソンがタイプライターで繰り返し打ち続けていた文章だ。
「仕事ばかりして遊ぶことをしなければジャック(人)は冴えないヤツになる」
この諺が言わんとするところは、work と playを入れ替えても成り立つのだろうが、しかし、人の行動をwork と playだけに区別してしまえるのだろうか。
人の日々の行いで衣食住に関わる事柄以外はwork か playなのだろうか。

ジワリとにじんでくる汗をサラリと運び去ってゆく“カーテンを揺らす風”のような時間。
たぶん、そんな時間が人の行動には含まれており、それはwork でも playでもないはずだと、私は思いたいのである。

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新記事なんだが

オールド・デビル・タイムHPの方に、新記事を追加しました。
こっちで書いてた「科学と反科学のなんちゃら」を締めたものです。
が、これの内容が、面白くないんだよなぁ

私にとっては大事なことなんですが、
あがりかまちに置いた足台みたいなもんなので・・・


奇者試考Ⅰ・その”何か”とは何か

奇者試考Ⅱ・「奇」という反科学

奇者試考Ⅲ・虹のように

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どうぶつじっけん

ついでにもういっちょ自転車ネタいっときましょうか。

ワタクシ、特に重大な疾患を持っているわけではないんですが、月に一度、かかりつけ医に診てもらっています。
で、三ヶ月(から半年)ごとに血液検査なるものを行うわけですよ。
わざわざ注射器で血を採取して分析器にかけるわけですから、ただ漫然と検査を受けていたのでは面白くないですわな。ですから、「じゃ、次回は採血します」と通告があったら、その日から一ヶ月間は検査用の実験に取り掛かります。
「どうやったらどうなるか」、あるいは、「こうやったらこうなれるのか」という実験です。
で、自転車関連も何度かやってみました。

一ヶ月間に、
① 気が向いたときにテキトーに短距離を延150キロ走る。
② ほぼ週一でキツめに延400キロ走る(実際には約70キロを6回)。
③ 毎日30分間トレーニング機器で走る(ローラー台を使用)。

① の場合は中性脂肪がけっこう減り(157)、筋肉破壊・CKも割合少なく、ヘモグロビンは減少しますが全体に危なげない結果になりました。
② の場合はなぜか中性脂肪がググッと増加(226)、当然かもしれませんが筋肉破壊増加、白血球数も増加して、なんかやっぱ無理してる感じの結果がヒシヒシと出ます。
③ の場合は期待していたほど中性脂肪は減少せず(168)、筋肉破壊は最高値(251)です。尿素窒素にはじめてチェックマーク(↑)が入ったのですが、これは激しい運動を行うと上昇するらしいです。

え~っ、で、まぁ、あのですね、私は自転車の中でもけっこうキツいといわれているロードレーサーを走らせているわけで、自分でもこれしんどいですなぁ・・・とか感じてるわけですが、あんまり中性脂肪とか減らないのね。そして、これは以前から言ってることですが体重もたいして減りません。贅肉は減りますが筋肉が付くので相殺されてしまうようですなぁ。
なんで?と思うのは②で、月に400キロも走ったのに中性脂肪値が増加したことです。これ、薬剤師の方の話では“体が危機的状況を察知して(活動エネルギーとなる)脂肪を体に溜め込もうとするからではないか”というのですが、確かにそうかもしれません。

Toyoonこの3つの中でもっともキツかったのは③で、たった30分でも毎日っていうのはオッサンには疲れが残りますし、だいたい気が重いですなぁ。私が使ってるローラー台は3本ローラーってやつで、ルームランナーの自転車版みたいなもんです。最近は後輪車軸を固定してしまうローラー台が主流のようですが、あれの方が場所も取らず振動音も少なめでよろしいようです。だいいち、コケる心配がありませんからね。

さー、次回の血液検査ではどんな実験をしようかねぇ・・・。

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落とし主、見てませんか

Hiroi本日(7月9日)自転車トレーニングの途中で、こんなものを拾いました。
場所は、9号線老ノ坂峠・自転車歩行者用トンネル西側です。
日光に晒され、この暑さで中身のボンベもチューブも高熱状態だったので一応拾い上げましたが、場所が場所だけに近くに派出所もなく、また中身が中身だけに届けることもないかと持ち帰りました。
が、中身の揃え方やパッキングから見て、持ち主はスポーツサイクルの手練のようですし、愛用のツールを紛失するのはゲンが悪いものです。
ですから、これらに思い当たる方がおられたらお返ししますのでメールを頂きたい。
その際には、本人確認のため、中に入っていたタイヤレバーのメーカーとカラーをお書き添えください。
今年いっぱいは保管しておきます。

私も一度、サドルバッグを落としたことがあります。
なにせケツの下に取り付けてあるものですから帰宅するまで気づかないもんですよねぇ。
中身も今回のとほぼ同じ、パンク修理セットに六角レンチ3本だったので「あーっ、しまったぁ!」という程度でしたが、あれ、どうなったのかなぁ・・・。

しっかし今日は暑かった。
走ってる人が少なくて、たまにすれ違うと双方が苦笑い。
いやぁ、健康に悪いっさ。

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和らげ耕す

前回の最後に「バカ話」という言葉を出した。
さて「バカ話」とはいったいなんぞや?、である。

「馬鹿話」、その辞書的意味では
「とりたてて内容のない、つまらない話。むだばなし」となる。
確かにそうなのだが、私の言っているバカ話は、そうではないのだ。
いや、そのとおりではあるがそれだけではない、というべきか。

「バカ話」は、相手がホンモノの馬鹿だと成り立たないのである。
この場合の馬鹿とはセンスの欠如を意味し、「センス」とは前回の記事に挙げたような内容である。
ところが、理解力明晰で常識をわきまえ、程(ほど)を知っていて空気が読めて・・・、というような人が“センスのある人”なのかといえば、実はそうでもない。
それだけでは“ただの賢い人”なのである。
世の中には賢い人がいらっしゃるようで、そのような賢い人は世の中のためになるのだろうが、人(“私”)のためになるのはただの賢い人ではなく、“心地よい人”である。
では“心地よい人”とはどのような人なのか・・・。
これにはおそらく答えが無い。あるいは相当多数の答えが存在する。
それぞれの“私”にとって“心地よい”は異なっているはずで、同じ“私”でも経る年月によって変化してゆくものだから。

「バカ話」は、そんな“心地よい人”と“私”との間を転がりながら行き交う。
そのとき、バカ話は私の精神における空間の硬直を和らげ耕してゆくのである。
同じことが相手(あなた)にも起こっていれば、と私は願う。

バカ話で締めくくることが出来た一日は「素敵な日」であったと言ってよい。

江戸時代後期に生きた絵師・酒井抱一の描いた作品に『蕃椒図扇面』がある。
扇の中央やや左に、小さく赤い蕃椒(とうがらし)がひとつだけ描かれている。
そして賛にはこのような句が記されている。
「蕃椒馬鹿といふ名に甘ミあり」
ピリリとした鋭さのトウガラシや、ヒリリと辛い山椒の実。そのような人物は私の憧れるところではあるが、しかし最後にたどりつきたいのは和らげ耕す甘みを持った人間である。

とうがらしバカという名に甘みあり

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馬鹿ップルの指標

“「嫌いな理由」は簡単に挙げられるが、「好きなわけ」は説明できない”
という見解をこれまで示してきたのであるが、最近、はたしてそうか?と疑問を持つようになった。
「好き」や「面白い」、また「楽しい」とは、実質「心地よい」のことなのだろう。
そしてその「心地よい」の理由は明確に“ある”はずなのである。

繁華街・ショッピングモール・交通機関など人出の多い場所にはほぼ必ず若いカップルがいるものである。
私にはこれら若い衆のほとんどが所謂「馬鹿ップル」に見える。
その度にワタクシは、「死ね死ね死ね。すぐ死ね、今死ね」と念じるのだが、らぶらぶハッピーな境涯にいる奴らは免疫力が上昇しているようで、おっさんの呪いごときがそう簡単には通じそうもない。
呆けた笑いを湛えた顔、油断しきった身構え、内容の無い会話。
第三者から見ればあきれるほどの“ふたりのせかい”なのだが、それでもあの者たちは心地よさそうなのである。
“恋愛とは両者の勝手な思い込みから成り立っている”のが真実であるとしても、その思い込みが原因となる心地よさが得られる相手はそう多くは無い。
人に対する印象として先立つのは、顔・スタイル・声・話し方・しぐさ・表情などの外見的要因で、そこに、相手の持っている嗜好・志向・思考のような内的(あるいは情緒的)要因が質感を与えることになる。このふたつの要因のどちらが主となり従となるのかはその時どきで入れ替わるようだ。
恋愛に限らず、人間関係における心地よさは人生にとって最重要要素であると言い切ってもよいだろう。人にとって「心地よさの追求」は人間関係に留まらず多方面に展開し、それこそが生きる目的といってもよいかもしれないのである。

「気持ちよい」は「心地よい」に似た感覚だが、これらでは“よい”の居場所が違う。
「気持ちよい」は時間上にあり、「心地よい」は空間上にある。
「心地よい」を構成するのは多層に及ぶ「センス」を扱う術(すべ)であろう。
「センス」の辞書的意味は、「物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。判断力。思慮。良識」となるが、具体的にはこれだけではわかりにくい。
声優・三石琴乃氏が若いころに先輩から受けたアドバイスがあって、それは以下のようなことだったという。
「同じ空間にいる相手に対して、適切な距離を取り、適切な音量で話し、言葉遣いに気をつけ、相手を思いやり望むものを出せる、それがセンスだ。」
言い得て妙である。
このアドバイスからすれば、先に挙げた馬鹿ップルの姿は正当なのである。会話に内容など無くてもよいのであって、「ふたりのせかい」が心地よければそれでよいのである。
私自身について考えても、やはりそうだ。
私が好ましく思っている人との会話内容はといえば、ほとんどがバカ話である。学究的・思索的・論考的な内容はほぼありはしない。私が好んで聴いている音楽、観ているアニメ、聞いている落語なども、内容はどんなかといえば“どおってことはない”。それでも心地よいのである。その「心地よさ」を欲して、その人と会えるのを楽しみにするし、同じ音楽やアニメや落語を何度も見て聴くのである。

オールドデビルタイムで考え続けていた「歌・音楽の本来は何なのか」は昨年6月の投稿で止まっているが、これには「心地よさ」が大きく関わっているのかもしれないと気づいたのが最近で、停止状態を突破できるかもしれない。
ランタイムでも昨年夏から「人間は機械であろうか」を続けているが、これにも「心地よさ」が関わっていそうだ。
願わくばこれらが心地よく動き出せればと、思っているのだが。

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昔はよかっ!

「つづき」がイマイチまとまらないんで、もうひとつ古い映画の話。

WOWOWで”各種”水戸黄門を連続放送しておりましたよ。
最初の2本は私にとっての「元祖御老公」月形龍之介主演で、1957年版と1960年版。
東映時代劇というのはですな、あれは、江戸時代を描いた映画作品ではないのです。
東映時代劇は、「東映時代劇」という架空の日本の架空の時代を舞台とする作品なのであります。
その架空の中で往年のスターさんたちが跳梁いたします。
大友柳太朗・市川右太衛門・片岡千恵蔵・東千代之介・中村錦之助・大川橋蔵などなど。
そしてみんな、うまいっ!!
今の、大河なんかの、「台本まちがわずに言えてま~す」なだけのキャストとは格が違うのだよ。東映時代劇の役者たちは江戸時代の人になりきっているのではなくて、東映時代劇の中の人になりきっております。あそこまで熟するには相当の訓練とそれを許す環境が必要でありましょうなぁ。昔の映画界は贅沢だったんですよ。
中でも、中村錦之助がね、いやぁうまいことうまいこと。もう惚れ惚れしちゃいますね。
わざとらしいっちゃわざとらしいんだけども、サマになってるわざとらしさなんてのはね、自分に役を仕込まないと出来ないですからね。
そして、なんつっても片岡千恵蔵です。この御方は東映時代劇におけるワタクシ的アイドルです。顔のデカいアイドルですけどね。私の母方の祖父(私が生まれたときには他界してましたが)も片岡千恵蔵がアイドルだったらしくて、こういうのも隔世遺伝というんでしょうか。千恵蔵先生はあんな派手なお顔でありながら、どんな役をやっても似合うのが不思議です。国定忠治であろうが大石内蔵助であろうが机竜之介(『大菩薩峠』)であろうが、キマっちゃうのよ。中でも私が一番好きなのは『血槍富士』で演じた槍持ちの仲間(ちゅうげん)です。ラストの、居酒屋の中庭でのすさまじい大立ち回りがねぇ、泣かせるよねぇ。

あ、いや、何が言いたいのかっちゅうとですね、今のドラマとか映画とか、やっぱダメなんじゃないかっていうことなんですよ。
でもなぁ何がダメなんだろなぁ・・・、ま、役者はヘタですよね。脚本もチャチだし、すぐCG使っちゃうし。映画全体が派手で「コマシ」なのに、すぐ飽きてしまう話の流れしか作り出せてない気がします。

もうハッキリ言っちゃいますけど、
あの頃はよかったよねぇ~!
今はもう、見るべきものはアニメしかございませんっ!

ここのところ音楽の話をしてませんが、最近気に入ってるのがこれ。
『妄想戦士 宮前かなこ』 (←クリック、もっとクリック、トリプルクリック!)

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匂いや音や

ちっとばっか、別の話をはさむのだけれど、
昨夜、『東京物語』デジタルリマスター版を見てたんですよ。

『東京物語』のフィルム原版は火事で焼けちゃって、残ってるのはコピー版だってことを当時のカメラマン厚田さんがバラしてました。「原版はもっと鮮明だったのにとても残念だ」、と。
で、今回のデジタルリマスターなんだけれど、あれは原版に近いんだろうか?
私はとても違和感を持ったのですよ。あれってモノクロームフィルムの質とは異なるコントラスト、っていうか輪郭、っていうか、イラッとしてくる画質なんですが・・・。
で、放送と同時進行でDVDプレイヤーに元の“ぼやけ”版をかけて、入力切替で比較しながら見てたんですが、ぼやけていても「元」の方が“観ていられる”んですな。

おっそろしく手間をかけてリマスターされたものなんだろうけれど、私から見れば「豊かさ」の無い画質。例えれば、顔もスタイルもとても美しい女性が最新の化粧とファツションを身に着けたがゆえに豊満さが失せてしまったような、そんな感じ。

アナログとデジタルは、確かにやっぱ違うんですよ。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、「画」から出てくる音や匂いが違うんだ。
デジタルにはデジタルの、アナログにはアナログのそれがあり、アナログを強制的にデジタル化したら妙な不協音とか匂いの濁りが出てくるんじゃないでしょうかねぇ。

けどなぁ、今後、残してゆくには、デジタル化なんだろうし、難しいところですわなぁ。

あっそー、『東京物語』といえば
ハルヲフォンの『東京物語』(←クリック)って好きなんだよねぇ。

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