わたしはすでに心待ち
本日、久しぶりにライブを聴きに京都・拾得へ行った。
三上寛である。
前回の記事で音楽に興味が無くなっているとか書いていたのだが、これは実際本当のところであって、だとすれば、そんな私にとって三上寛は歌でも音楽でもないのであろう。
寛さんは景色を見せてくれるのである。
それは私が見たことの無い景色である。そしてそれはたぶん実在しない景色なのだ。
だが、それは三上寛の中に確実にあって、彼はそれを自らの「芸」でもって私たちの前に繰り広げてくれるのである。私は、その、見たことが無い景色に見とれる。
たぶんこれは観光に近いものなのだ。
で、なければ、
♪マイケル・ジャクソンが死んだ日には、丸亀の町に亀が出る♪
と歌われて、あーそうなのかそーだったのか、とは思えまい。
実在はしないが、三上寛の中には確かに存在する景色。
今夜のライブ前半で、“9・11の日に貿易センタービルから奇跡の脱出を遂げたと証言し、マスコミから祭り上げられた女性”のことを歌っていた。実はこの女性の証言はまったくのウソだったことが後に発覚したのであるが、それについて寛さんは「親近感を覚える」と言っていたのである。
三上寛が確信犯であるのか、それとも“正常な”基地外であるのか、そんなことは私にはどうでもよい。私はただ寛さんが見せてくれる景色に見とれていたいだけなのだ。
気が晴れる。
現在の私には特に気に病まなければならないような事柄もないのだが、しかし三上寛のライブを聴き・見ると間違いなく気が晴れてゆくのがわかるのである。すなわちこれは観光なのである。
拾得ライブの前2回はセミアコースティック・ギターを使っていた寛さんだが、今夜はピエゾタイプのアコースティック・ギターを使っていて、この♪ガシャーンという音が心地よかった。
「ボランティアという言葉も行為も好きじゃない」という三上寛。
超少ない客からの盛大な拍手にニコッと笑う三上寛。
類人猿的な動きの三上寛。
次はいつ来てくれるのだろうかと、私はすでに心待ち、なのである。



