理不人
ずいぶん昔の話です。
阪急電車・(京都)四条大宮駅へ向かう横断歩道を渡った直後、小柄なニイちゃんに「~~~の署名お願いします」と用紙を突き出されたんですよ。
その「~~~」が何だったのかもはっきり覚えていないのですが、たぶん「戦争反対」とか「核兵器廃絶」とかそういうのだったと思います。
私が「イヤです」と応えたら、そのニイちゃんは「なぜですか、理由を言ってください」と言うんですね。それに対してオレはこう言いました。
「オマエが嫌いだからだ」
いやぁひどい言い方ですね。このとき私は学生でしたから20歳前後なんですけども、まるでオトナゲ無い、これじゃ子供のケンカです。
署名を拒否したホントの理由は大阪・梅田行きの電車に乗り遅れたくなかったからなんですけども、「オマエが嫌い」というのもホントでした。“署名するのが当然だろ”的な態度でオレに対してきて、拒否したら「理由を言え」とはどうなんだっつーことですよ。
「戦争反対」、「核兵器廃絶」、「人命尊重」、「自然保護」などの主張は、それだけを取り上げればどう見ても正論です。そのような趣旨をかざして署名を求められればある種の威圧を感じるものです。もしも署名しなかったらそれらに反する思考を持つ人だととられかねないのではと思ってしまいますからね。しかし、署名を求められた私は、その活動をしている団体(あるいは個人)をまったく知らないわけで、「~~~の署名お願いします」と言われても、その「~~~」という主張に至った理由がわからないのですよ。理由のわからない団体や個人の趣旨に「~~~」だけで賛同し、それをもって何らかの書類に自署することなんて出来ませんから署名を拒否するのは当然のことです。
(街頭での署名活動の場合は活動内容や論旨が書かれたプラカードがあったりビラ配りがなされていたりしますが、オレの方はそんなものをいちいち読む義理はないですからね。)
たとえばですよ、「戦争反対」という趣旨は大多数の人間が賛同するところでありましょうよ。人間同士が殺傷しあうことに反対するのは当然のことです。でもですよ、人間は何千年という歴史を重ねてきても戦争を無くしてしまうことは出来ていませんわなぁ。人間のほぼ全体が賛同するような趣旨であっても、国や民族や、ときには個人の理由において“戦争やむなし”との判断に至るからですね。
で、私ね、少々不穏なことを言いますが、上記の件は正しいのではないかと思うのよ。
人類全体にとっての正論であっても国・民族・個人の理由によってそれを覆してしまうことがあるのを認めるっていうことです。言い方を変えれば、私は、戦争には反対だし核兵器は廃絶したいし人命は尊重しているつもりだし自然の保護は大事だと思うけれど、それでも、それらすべてに賛同している他の人たちと大同団結するつもりはないっていうことです。
私には私の理由があって、それは、私自身にとって、人類全体の総意よりも重いんですよ。
だから、最初に書いた署名拒否の件でも、その署名活動をしている団体の見解全体に同意できたとしても「オマエが嫌いだ」という理由ひとつで署名を拒否してもいい、という粗暴な考え方です。
哲学や倫理学という、人間の理性によって疑問・問題を解決しようとする試みは人の意識のごく初期に発生したのでしょうし、そしてこれまでに延々と考えられてきました。しかし、私思うんですよ、人の人としての特色は理性じゃない部分にあるんじゃないかと。
『音触』から始まったこのシリーズの主題は「歌・音楽の本来は何なのか」でありますが、この、歌・音楽を聴いて“感ずる”ところのものは理性じゃない部分なのではないかと思っているんです。歌・音楽が人間の奥底から引きずり出してくる理性じゃない部分は他の表現手段より加工度が少ない状態であることが出来るわけで、だからこそ、歌・音楽の可能性の大きさ深さを信じられると考えています。
これまで「自らの理由」についてしつこく書いてきましたけども、この理由っていうのは実は理性に基づいたものではなくて、理性から外れたものではないかと、理性から外れているからこそのものではないかと、やたら理不尽なものではないかと、そんな気がします。だからこそ、自分は自分でいられるのではなかろうか。そうであってこそ他を他として認め、この世界を“自ら”の集合体として認められるのではないかと、思っているのですよ。
理不人 all the people Sharing all the world...
で、「オマエが嫌いだからだ」と言われたニイちゃんはどうしたか・・・オレと罵りあいになったのか、っていうとそんなことはなく、「あっ、そうですか」と言って何事も無かったように次の標的に向かってゆきました。
そのあまりの呆気なさにオレはちょっと罪悪感を持ってしまったのよ。
アイツ、ひょっとしてああいうことを言われ慣れてるのかもなぁと思ってね。
普通ね、面と向かって「オマエが嫌いだ」なんて言われたらちょっとアレになりますわなぁ。でも、そのニイちゃんは開き直るでもなく不貞腐れるでもなく、“何事も無かったように”だったのでありますよ。私は学校へ向かう阪急電車の中で、悪い事言ってしまったかなぁと、ちょろっと反省してみたりもしたのですが、それでも再度ああいう場面に出くわしたら同じことを言うだろうと思っていたのですよ。
これはもう30年以上も前のことですが、いま現在でもたぶん同じでしょうなぁ。


