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音触

さぁて、久しぶりに“長いの”をやってみようか思っとるのですが、これまでにやってきた長いのは書き出す段階で結論がほぼ見えていたんですけど、今回のは見えてなくてね、うむ、どうなるのでありましょうかな・・・

あのですね、ワタクシちょっと前に、近所のライブハウス(京都・双ヶ丘)「SOEN」で、スティールパンがメインのジャズコンボを聴いたんですよ。
スティールパンというのはドラム缶の底部分を切り取って底面部をハンマーで叩き伸ばし、厚薄を区切って音階を出せるようにした楽器です。発祥はトリニダード・トバゴで、スティール・ドラムとも呼ばれています。
実際の音と演奏はこんな感じ(←クリックでYouTube)です。
私は以前からスティールパンに興味を持ってはいたのですが、生で聴くのはその時が初めてでした。その日のコンボはクインテットで、スティールパン奏者は大阪・豊中市から来られた釣千賀子さん。PAは使っていないようなので、私はスティールパンの正面に席を取り、その距離4メートルほどです(「席を取り」と書きましたが、実は、ライブ開演時に客は私ひとりだけだったのよ、ハラァ~)。
で、演奏が始まって驚きました。これまで録音で聴いていたのとはえらく違うんですよ。
スティールパンは鉄板で出来ていて、異なった音階がビッシリと隣り合っている構造ですから、複雑な倍音を発生するんです。楽器音が「生」と「再生」では異なっているというのはしょうがないことで、アコースティック楽器が出す複雑な音色は完全に再生しきれないものではありますが、これほど違っていたのは初めてで、「いい音やなぁーっ」と“音”が出ただけでも感心してしまったのでありますよ。

さて、この「いい音」っていうことです。
(プロミュージシャンではない)私たちが音楽を聴く場合、そのほとんどがスピーカーやヘッドフォン・イヤホンで聴くことになりますね。音楽として一人立ちしている楽器音や人の歌声をスピーカーを通さずに聴ける場というのはあまりないものです。私たちが聴く“音楽”はほとんどが再生されたものでありますよね。
その場合、当然“いい音”で聴きたいわけですよ。
で、この“いい音”なんですが、最近の“いい音”っていうのは、これどうなんだろか?と私は思っておるのです。
まず、おっさん(1956年生)の昔話から始めますけどね、ついて来てちょうだいよ。
日本では1960年ごろから、後にオーディオブームと呼ばれることになるスパンが始まり、私が音楽を熱心に聴き始めた十代半ばごろ(1970年前後)は、当時「ステレオ」と言われていた再生装置が飛躍的に発展していた頃だったのですよ。音楽好きたちは狭い六畳間にバカでかいブックシェルフスピーカーを据えて、「いい音だねぇ~」とか言ってご満悦だったのですな。とは言ってもですよ、ウサギ小屋ですからねぇ、据えられた機器は性能の十分の一も発揮できていなかったはずなのにね。
で、その頃のオーディオ装置の要点は「原音再生」だったのですよ。レコード盤に記録された音源をいかに忠実に再生することが出来るか、ですね。そしてそのレコード盤、塩化ビニールの「LP」ってやつですが、これについても、演奏されている音をいかにしてそのまま忠実に記録出来るかが大事だったのですよ。要するに、レコードとオーディオ装置の役目は、生で演奏されている音を変化させることなく再生出来るべきこと、であったのです。

ん?、この話はもういいなぁ・・・とか思ってますか。
我慢してちょうだいよ。
人間はね、我慢してたら後でいいことがあったりなかったりしますから。

そしてそのころ、「ドンシャリ」という言い方があったんですよ。
これは低音域と高音域が強調されている再生時の特性を表していて、良い特性の意味として使われたものではありませんでした。ドンシャリは主にアメリカンサウンドの傾向とされ、安っぽい音である場合にこの言葉が使われていました。
ドンシャリの本来は、1960年代にアメリカのモータウンが自社のR&Bサウンドにメリハリを付加するための補正として施したのが始まりらしいので、元はレコード制作のマスタリングの際に処理された方法なんです。そのメリハリ効果は音楽再生機器にも応用されることとなり、派手で明るく耳に残る、若者向けにチューニングされた機器が出てきたんですね。

で、ここ10年間でのオーディオ機器の主流といえば、iPodを代表とする携帯デジタルプレーヤーでありますね。ちっこくて、大容量で、そして“いい音”だとされています。
けどね、あれ、ホントにいい音なのかと、私は思うのさ。
かく言うワタクシ、実は携帯デジタルプレーヤーの類はひとつも持ってません(アレで音楽を聴きたいとは思わないからです)。iPodは友達やら知人のものを聞かせてもらったわけですが、ま、確かにね“いい音”のように聞こえます。
けど、あれ、チューニングなんだぜ、皆の衆。
わかってるのか?ホイールくるくるしてる皆の衆。
え?あっそう、知ってたのかい、皆の衆。
そうなんですなぁ、最近のポータブルオーディオっていうのはそれぞれの機器でチューニングが違っているのが当たり前になってるんですってね。
そして、チューニングということで言えば、私らの年代は、再生装置の特性とは別に、録音されている状態っていうものが原音重視のフラット特性であるべきだという主観があるんですが、いまのポピュラー音楽っていうのは録音自体がマニピュレート技術によってチューニングされてしまって、一様にきらびやかで派手で、聴き手の気を引くような「音触」に仕上げられてしまっているんですね。
その上、再生機器までもがチューニングされてしまってる。そして、そのチューニングされた再生機器で聴く事を想定したマニピュレートまでもが施されているらしく、楽器本来の音や人の生の歌声が“再生”されることは無くなってきているわけですよ。
「録音」と「再生」に「マニピュレート」と「チューニング」が加わって、それでひとつの楽器として機能しているのだいう考え方もできるかもしれませんが、それで歌・音楽はいいんだろうかと思うのよ。
そういう再生音楽に耳が馴染んでしまうと、(インディペンデント系などでたまにある)マニピュレートされていないCDがヘナヘナに聞こえてしまうことがあるんです。そういう音源は再生装置によって聞こえ方が大きく違ってきて、それをなんだか安っぽい音楽だと錯覚してしまうことが、私にはあるんですよね。そんなとき、なにかしら、“グラッ”と“ユラッ”とくるものがあるんですよ。

今の再生音楽の状況は間違ってるとか、原音再生に戻るべきだとか、そんなことを言うつもりはないんですがね、歌・音楽の本来はいったい何なのだと、それが気になっているわけです。

そして、話は次回に続くのだよ・・・
これに懲りずに、次回も読んでくれぃ。
そしたら、いいことが、あったりなかったりぃ~


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